スローモーション
03:帰る場所


その意味さえも知らないで  僕たちは


連れてこられたのは屋上だった。四方全てを高いフェンスに囲まれた広い空間。普段は鍵がかかっていて、子供たちだけで入ることは出来ない。時々鍵をかけ忘れてあって入れることもあるけれど、もしそれがバレたらそれはもうものすごく怒られるのである。だから、鍵が開いていても普通、生徒は入ることが無い。
僕はこの場所が好きだ。走り出したくなるほどワクワクする。
それでも今は、とてもそんな気分にはなれなかった。美鶴の髪が風にふわりと舞い上がるのを少し後ろから見ている。綺麗で、嬉しくて、哀しくて。色んな感情があふれてきて、美鶴に手を伸ばしかけた。そのとき美鶴が振り返ったもんだから、僕は中途半端に伸ばした手を所在無さげにおろした。

「で、何」
端的な会話。
「本当に何も覚えてないの?」
教室で会ったことも、神社で会ったことも、幽霊ビルで会ったことも、幻界であったことも?美鶴に出会ってから起きたすべてのことが一気にあふれだしてきて、とめられなかった。
「だって、そんなの――ひ、酷いよ、あんまりだよ。だって僕は、僕は本当に、下駄箱で嬉しくて、だから――」
自分でも何を言っているのか、何が言いたいのか、わからなくなっていた。ただただ言葉がこんこんとあふれて、視界がぼやけた。涙もあふれてとまらない。
「おい、泣くなよ…」
美鶴にしてはえらくぶれた声だった。僕だってこんなふうに泣きたくなんてなかった。恥ずかしい。やっぱり僕だけが友達だと思ってて、美鶴は僕のことなんか全然なんとも思ってないんだ。そういうこと?うつむいて、涙をとめようと目を何度も何度も拭った。だけど、いくらごしごしこすったって涙はとまらなくて、息も苦しくて、どうにもならなかった。苦しいよ、美鶴。胸が、心がどうしようもなく痛いんだよ。

「泣くなって。亘」

その言葉で、涙がとまった。

距離はいつのまにかゼロになっていて、美鶴が僕の頭を撫でるように抱きしめている。赤ちゃんをあやすように、壊れ物にふれるように、やさしく。
「悪かった。ちょっとやりすぎたか?」
僕の思考回路は完全に停止している。
「もう泣くなよ亘。な?」
亘。美鶴は確かに僕の名前を呼んだ。
「・・・み、つる?なん、で、僕の名前・・・っ」

理解した瞬間にまた涙があふれた。

運命の女神さま。あなたを疑った僕を、どうかお許しください。
あのきれいな声と姿の女神さま。ああ、やっぱりあなたは運命の女神さまだ。

からかわれていたことに対する腹立たしさなんてひとつも起こりはしなかった。ただきつくきつく美鶴を抱きしめた。苦しくて嬉しくて痛くて、ずっと小さい子供のように泣きじゃくった。
「みつる、美鶴…っ!」
「亘」
「会いたかった、ずっと、僕は後悔してたんだ…!」
「お前が後悔する必要なんかどこにもないだろう」
それから僕は何かを言おうとしたけれど、言葉にはならなくて、嗚咽ばかりが漏れた。美鶴に背中をさすられていると言葉が出なくなった。身体を少し離すと、目の前に美鶴のきれいな顔があった。きれいな目だった。そのまましばらく見惚れてしまって、気づけば僕らは唇をあわせていた。それはとても自然な流れで、恥ずかしいとかおかしいとかそういう考えは一切浮かばなかった。離れると、ゆるゆると美鶴の肩に頭を乗せた。 涙は枯れ果てたようで、すっかりと落ち着いていた。

すっと涼しい風が一陣通り過ぎて、僕と美鶴の髪を揺らす。

「ね、美鶴・・・」

「ん・・・?」


僕は、美鶴との未来を願った。
これからは僕たちふたり、一緒に旅をするんだ。


「おかえり」

「・・・ただいま、亘」

おかえり。
おかえり、美鶴。


2006.08.16
終わりましたー。
美鶴なら一回知らん振りするぐらいのことはやりそうな気がして。
ミツワタのつもりが気がつくとワタミツなのはどういうマジックなんでしょうか…
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