ひ ら ひ ら 赤 く

冗談じゃない。

夏特有の気持ち悪くて弱い風がカーテンを揺らして、教室の空気が少しだけ流れる。美鶴は窓側の席でそれさえも鬱陶しく思いながら、握ったシャーペンに力を込めた。わら半紙がその力に負けて、少し破れた。
夏休みを目前に控えた期末試験は、内申に響くからしっかりやれと担任が言っていた。だけど生徒なんて教師の言うことはこれっぽっちも聞かないものだ。早く帰れるとか夏休みどこ行こうとか、そんなことばかりで勉強なんて二の次だった。
美鶴はそのどれもがどうでもいいと思っていた。

「美鶴ー、試験どうだった?」
そうだ、こいつも夏休み楽しみだねとか言ってたっけな…
薄っぺたいスクールバッグを担いで、亘が廊下を駆けてくる。亘の背は美鶴を追い抜いていて、並ぶと見上げなければならない。それも癪に障った。
「あんなのすぐ終わるだろ」
能天気なヤツめ…と睨みつけた。
睨まれた亘はその意味がわからず、きょとんと首をかしげた。
「どうしたの、なんか怒ってる?僕なんかした?」
「何も」
ああ、いらいらする。
「帰るぞ」
短くそう言って、昇降口へ続く階段を降りようとしたとき。

「二人とも今帰り?僕も途中までいいかな」
穏やかで爽やかな声が後ろから聞こえた。美鶴が今、一番聞きたくなかった声だ。

「あ、宮原。いいよ、帰ろー」
勝手に了承するな、亘。俺は嫌だ。
そんな美鶴の思いもむなしく、亘と宮原は階段を降りていく。
どの公式使った?とか、物理の問3が、とか、二人は今日あった教科の話をしている。それと進路。大学はどこにするのとかなんとか話している。その後ろにいる美鶴は、無言で二人を睨んでいる。

昇降口でのろのろと履き替えていたら、亘が近づいてきた。
「美鶴、宮原誘ったの嫌だった?ごめんね」
「別に…いいよ」
違うんだ、それで怒ってるわけじゃないだ。宮原も、別に悪いわけじゃない。
これは自分のわがままであって、誰が悪いわけでもないんだ。

外へ出ると、太陽がぎらぎらと地面も人も何もかもを焼いていた。試験中で誰も使っていないグラウンドに蜃気楼が発生して、遠くがぼやける。校門まで続くアスファルトの道も例外ではなくて、これはちょっとした修行のようだ。
ゆらゆら揺れるその向こうに人影が見えた。絶対に間違えない。アヤだ。アヤは日陰に隠れるようにして、そこに立っていた。
中学生になって、アヤは誰からも好かれる人気者になっていた。制服から覗くすらりと伸びた手足、頭の高いところで結ったツインテール、母親譲りの整った顔、誰彼隔てなく接する明るい性格。芦川兄妹といえばここらじゃ少し有名な存在なのだ。

「あれ、美鶴。アヤちゃんもう来てるよ」
おーいアヤちゃーん、なんて大きな声を出して小走りに駆け出す亘。
はあ…、疲れる。深くて重いため息をついた美鶴の隣には宮原がいた。
「さっきからどうしたの芦川。あ、三人でどっか行くとかで僕邪魔かな?それなら帰るけど…」
「いや…ファミレスに昼食べに行くだけだから、お前も時間あるなら来いよ」
不本意だけどな。と言いかけたのは心の中にしまっておく。
「おにいちゃーん!」
細い腕をぶんぶんと振り上げて美鶴を呼ぶ。直後に美鶴の隣に人影を見つけて、固まった。
「あっ、宮原、さん…こ、こんにちは」
「こんにちは、アヤちゃん。っていうか、“さん”付けは要らないって」
あははと笑う宮原に、いいんです!と慌てるアヤ。
そう。少し前までのアヤは、宮原くんとか呼んでいた。敬語も使わなかった。それが最近は宮原さん、だ。理由?このアヤの姿を見れば一発でわかると思うけどな。
「お、おにいちゃん!」
つと制服を掴まれて、振り向くとアヤがいた。
「これどういうこと…!?なんで宮原さんもいるの!?」
美鶴以外には聞こえないように小声で素早く捲くし立てた。
「偶然。暇ならメシ食うかって誘ってやったぞ」
「・・・っ!」
ああ、まっかっかじゃないか。アヤ、お兄ちゃんにこんなことさせないでくれよ。
「今日は暇だし、お昼一緒に食べようかな」
誘ったのは俺だけど、お前も断ってくれていいんだぜ、宮原。というか断れ。
「あれ、宮原も一緒になったの?そっか、ここ暑いし、じゃあ行こうか」
このお人好しが…。少しは俺の気持ちも察しろ、ばか亘。
三人は歩き出してしまっていて、どうやら美鶴の味方は一人もいないようだ。


とにかく、アヤの隣には絶対に座らせないぞ宮原。


そんな小さな決意を胸に、美鶴は校門を抜けた。

2006.09.19
最強のシスコン・美鶴、がんばれ。

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