スローモーション
02:扉の前


何度でも 出逢ってしまう  その せつなさに


授業が頭に入るはずもなく、僕は何度も何度も下駄箱のシーンを思い出していた。
――あれは確かに芦川美鶴だ。ならどうしてあんな態度をとった?
――あいつも皆と同じで記憶をいじられてしまったんだろうか。その可能性も無くは無い。
――単にからかわれていただけなんだろうか。それもまた否定は出来ない。
ぐるぐると考えても余計にこんがらがるだけで、答えは見つかりそうにはなかった。
とにかく、もう一度会ってみなきゃわからないよね。
そこらの葉っぱを見るような目で見られても、セールスマンを追い返すような声を出されても。 拒絶されることはとても怖いし嫌なことだけど、このままでいるのはもっと嫌だ。

そんな小さな決意だって、なかなかうまくはいかないのが世の常である。 特に”カッコよくて頭も良い転校生、それもどうやらアメリカ育ちであるらしい”なんて看板が掲げられていれば女子が黙っているはずもなく、休み時間といったら本人の姿が確認できないほどの人だかりだった。 他のクラスからも美鶴の姿を一目確認したいと思う生徒がたくさんいて、教室の入り口なんかまるっきり塞がれてしまっていた。 こんなんじゃ美鶴に近付くことなんか出来やしない。休み時間に接触することは諦めた。

下校するときがチャンスだと思い、密かに帰りの時間を待ちわびていた僕に最悪な事態が訪れる。 掃除時間が長引いて、隣のクラスに間に合わなかったのだ! しかもそれが班の女子と男子のどうにもくだらないケンカだったのだけれど、僕たち全員先生に呼ばれてこってりお説教をくらうハメになったのである。
ああ、美鶴が帰っちゃうよ!
あまりにもうわの空だったもんだから、お説教時間がまた少し長引いた。最悪だ。

先生のお説教から解放された僕は、廊下をとぼとぼと歩いていた。
早く美鶴に会って、確かめたかったのに。
思うのはそればっかりで、重っくるしいため息が出た。朝の出来事が遠い記憶のようだ。 あのときは世界が輝いて見えて、これからは二人でもっと仲良くなれるって、そう思っていたのに。
感動的な再会なんて思えば一度も無かったような気がする。大抵は僕がピンチの時に颯爽と声がして―― 思い出そうとして、やめた。今思い出してもどうにもならない気がした。

図書室の横を通り過ぎようとして、ふと思い出した。そういえば分厚い本を読んでいたりしていたっけ。 そんなことを考えていたらもう手は勝手に扉を開けていた。いるわけないよ、いやいるかもしれないよ、と頭の中で交互に声がした。
人のいない、しんとした部屋の奥。本棚と窓ガラスの間の通路に、美鶴はいた。
やっぱり分厚いハードカバーの本を読んでいて、日に透けた薄い髪がさらさらと音を立てているようだ。 少し傾きかけた太陽のせいで、長いまつげがその顔に影を落とす。 その絵のような風景に何も考えられなくなって、ドキンと胸が疼いた。

「あ、あの、美鶴、えっと――」

美鶴はそれに反応して、ゆっくりと本から視線を剥がした。相変わらずの無表情で僕を見る。
「えと、その、ちょっと話があるんだけ、ど」
しどろもどろに言葉を続けていたら、美鶴は途中でぱたんと音をたてて本を閉じ、本棚に戻した。 そうして僕の横をするりと通り過ぎ、扉へと歩き出していた。まるで僕なんていなかったかのような振る舞いだ。
「ちょ、ちょっと待てよ、話が――」
慌てて引きとめようと扉を振り返ると、美鶴は扉の前で立ち止まっていた。
「聞こえてるよ。場所を変えよう」

美鶴は少しだけ僕のほうを振り返って、薄く笑った。

黒いローブを着た姿が、フラッシュバックした。


2006.08.04
ワタルがもやもや。
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